ABOUT / 想い
海があって、人があたたかくて、なんか楽しくて面白いことが起きそうな、この街が。
作業療法士として20年、障害のある子どもたちや、病院で最期の時を迎える方たちの隣にいてきました。NPOをゼロから立ち上げて、仲間と一緒に走り続けてきました。自分の子どもが学校に行けなくなった1年半も、ここで過ごしました。
その中でずっと感じてきたことがあります。
居場所がなくて苦しんでいる子どもがいる。声を上げられずにいる家族がいる。つながれば前に動けるのに、つながる機会が少ない。
善意で動き出した人が、一人だと傷ついて終わる。「なんだこの構造は」と思うたびに、動いてきました。
出会った人のワクワクを引き出したい。その人と誰かを繋ぎたい。そしてその連鎖が、まちの力になっていく。そう信じて動いてきたし、これからも動き続けます。
一緒に、このまちをワクワクさせていきませんか?
大郷 和成
だいごう かずなり
作業療法士/NPO共同創業者/3児の父
色んな役割を、担っています。
NPO団体
専門職団体
行政・公的機関
ACTIVITIES / 活動
障害のある子どもも大人も、自分らしく生きられる社会を。
重度障害のある子どもたちや医療的ケアが必要な方たちの居場所づくりと社会参加を支援。NPO法人laule'aをゼロで立ち上げ、茅ヶ崎・神奈川県内に5施設を運営。今までに250組を超える家族と本人に伴走してきました。
詳しく見る →福祉の専門性を地域に開放し、福祉な人が増える社会を。
作業療法士の専門性を地域・社会に開放することを目指す協会。「福祉の視点をもっと広く社会に」という信念のもと、理事として活動しています。
子どもの心の孤立をなくす、地域の温かいつながりを。
子どもの心の孤立をなくすネットワーク。フリースクール・居場所・親子の場など、制度の狭間にいる子どもと家族を支える団体をつないでいます。
立場を越えた人が混ざり合う、関わり代のある湘南を。
立場や職種を越えた人が混ざり合う、月次の地域コミュニティの場。孤立しがちな方が自然とつながれる場をつくり続けています。
市民と行政が、同じ方向を向いて動ける茅ヶ崎を。
官民が対話し、一緒に動ける場づくり。行政・NPO・民間・市民が同じテーブルで話し合える場をつくっています。
PHILOSOPHY / 根底
作業療法士になって20年、NPOを立ち上げて11年、父親になって8年。
障害福祉だけでなく、今はまち全体に関わる場面が増えてきました。
たまに「なんでこんなこと続けてるんだろう」って思うことがあります。
別に、世界を変えたいとか、そういう大きなことを言いたいわけじゃない。誰かに頼まれたわけでもないし、これをやれば絶対うまくいくという確信があるわけでもない。強いエネルギーが体の底から湧いてくる、みたいな感覚もぶっちゃけそんなにない。
ただ、「このままじゃ嫌だな」と思うから、動いています。たぶん、それだけなんだなぁと。
医療・福祉の現場に20年いると、いろんな人と出会いました。
重い障害のある子どもたち。医療的なケアがないと生きていけない子たち。制度の「18歳の壁」にぶつかって、積み上げてきた暮らしがある日突然ガラッと変わってしまう家族たち。
その子たちは、世間一般の「役に立つ」とか「生産性がある」とかいう物差しからは、はみ出してしまうことが多い。
でも、現場でずっと見てきました。
その子を中心に自然と人が集まってくる光景を。「元気だった?」「今日なにする?」って、周りの大人が温かくなっていく瞬間を。その子が笑うだけで、なんか場の空気が変わるのを。
そのとき思ったんです。
「あ、みんながこの子を元気づけてるんじゃなくて、この子がみんなを元気にしているんだ!」って。
そのような光景を、どれだけの人が見えているか。見えていない人がいかに多いか。それがずっと、すごく気になっています。
自分は、たぶん生産性の高い人間だと思います。
思考は速い方だし、組織も大きくしてきました。
だから正直、やろうと思えば「強者の論理」で生きることもできる。効率で人を測って、役に立たない人を切り捨てて、自分たちだけで豊かになっていく側に回ることも、たぶんできる。
でも、それがなんか、ダサい。
かっこ悪いというか、なんか違う。うまく言えないけど、そういう自分でいたくない、っていう感覚がずっとあります。
なんでかはわからない。本当にわからない。でも、その「わからないけど嫌だ」っていう感覚が、20年間ずっと自分を動かしてきた気がしています。
人を「価値のない存在」として扱うことへの違和感。それを見て見ぬふりすることへの自己嫌悪。あの感覚が、自分の中にある「嫌だな」の原点のひとつだと思います。
世の中はどんどん便利になっていく。
AIが進化して、デジタルが進んで、効率化が加速していく。それ自体は悪いことじゃない。
でもその流れの中で、「役に立つ人」と「役に立たない人」の分断が、じわじわと、でも確実に広がっていく気がしてなりません。
声を上げられない人が、さらに見えなくなっていく。
仕組みからこぼれ落ちた人が、「自己責任でしょ」の一言で片付けられていく。
現場でみてきた誰かの存在が場を変える瞬間とか、そういうものが、効率という物差しの前でどんどん「価値のないもの」として消えていく。
それが、とても嫌です。
「ワクワクしようぜっ!」なんて声を出して色んな人を巻き込んで楽しんでもらう。
それはわたしの軸ではあるんだけど、「このままじゃ嫌だ」という気持ちが根っこにあります。
「みんなにワクワクしてほしい」という気持ちと、「このまま見過ごすような人間でいたくない」という気持ちの両方が存在しています。
強い使命感がある人間じゃない。熱い演説が得意な人間でもない。
「このままじゃ嫌だ」と思い続けながら、それでも動き続けてきました。そして、その「嫌だな」という根っこと、「ワクワクしてほしい」という未来に向けて、これからもたぶん、自分を動かし続けていきます。
もし「たしかに、今のままじゃなんか嫌だよね」と少しでも思ってくれたなら。ぜひ、あなたの声も聞かせてください。一緒に、ちょっと面白いことを企みませんか?
VISION / 目指すまち
01
まちには、見過ごされているSOSがたくさんあります。でも、いきなり「さあ、支援活動をしましょう!」と言われると、少し身構えてしまいますよね。
だからこそ、誰もが「ちょっとだけ首を突っ込める」隙間、つまり「関わり代」が必要だと思っています。自分の好きなことや得意なことの延長で、「あの人、大丈夫かな?」と自然に気にかけあえる。そんなちょうどいい距離感の関わりが、まちのあちこちに生まれてほしい。
堅苦しいしがらみではなく、自分の仕事や立場を越境して、誰もが楽しみながらまちに関われる「ちいさな出番」をつくりたい。そんな一人ひとりのちいさな関わりが積み重なるとき、ガチガチの制度の隙間をふんわりと埋めていく。そんな風土を、このまちに育てていきます。
02
「福祉」と聞くと、お堅い専門職や、立派な自己犠牲のボランティアを想像されませんか?でも実は、「福祉」の本来の意味はとてもシンプルで、「幸せ」って意味なんです。
わたしがこのまちに増やしたいのは、特別な資格を持った専門家ではありません。電車で泣いている赤ちゃんをついあやしてしまう人や、道端で困っている人に「どうしました?」と声をかけられる、いわば「ちょっと気のいい人(=福祉な人)」です。そういう感性を持つ人が増えていけば、まちの体温は勝手に上がっていきます。20年間現場で見てきた、わたしの揺るぎない確信です。
03
作業療法士として20年、ずっと「支援する側」にいたわたし。子どもが一時期学校に行けなくなり、そのとき初めて「どうすればいいか、誰に聞けばいいか」わからない親になった瞬間でした。
そのとき気づいたのは、制度の「崖」です。学校という場には、先生も、友だちも、経験も、居場所も、すべてが詰まっている。でも「行かない」という選択をした瞬間に、そのすべてが突然なくなる。子どもの育ちは止まらないのに、育ちを支える場と人が、突然消える。そして親は、その孤独を一人で抱えることになる。
学校に行く・行かないに関わらず、どんな子も育ち続けられる。そして、その育ちを家族が一人で抱え込まずに済む。孤立しそうな子どもと家族が、自然とつながれる場と人をこのまちにつくっていく。それが、このまちで動き続ける理由です。
「面白そう、やってみよう」と人をつなぎ、ワクワクする風土をつくることは、わたしがずっと得意としてきたことです。これからも全力で続けます。
でも、風土だけでは届かない場所がある。声を上げられずに困っている人が、制度の隙間にたくさんいる。
だからこそ、わたしは仕組みの領域にも踏み込みます。風土と仕組み、その両方を動かしにいきます。